まつやま45地区の紹介
八坂エリア
市内中心部近くで便利な、自然あふれる石手川緑地沿いの住宅地
エリア基本データ
- 人口
- 5,214人
- 世帯
- 3,246世帯
10年前との比較
- 人口
- 99.4%
- 世帯
- 105.2%
ピックアップ
石手川緑地
石手川に架かる立花橋から新立橋までの河川敷を利用した緑地には、遊具や東屋などがある。春には河川敷に桜並木が続き、花見客でにぎわう。市街地に近いことから、多目的に利用される市民憩いの場として親しまれている。
八坂公園
複合遊具や列車型の遊具があり、園内には姉妹都市交流を記念して整備された「フライブルク庭園」もある。
松山市青少年センター
体育館でのスポーツや文化活動などが楽しめる。子どもに関する総合相談窓口も設置されている。
西法寺(ふれあいカフェ)
八坂地区まちづくり協議会が、西法寺でカフェを開催。お寺の古風な和室でゆったりと過ごせ、飲み物などのメニューが揃う。
ホタルの里(済美川)
かつて飛んでいたホタルを復活し存続させるため、公民館ホタルボランティア部員の活動が行われている。毎年5月下旬ごろ、観賞会がある。
井手神社
ご祭神の木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと(安産守護大神〈おおかみ〉)は安産の神様として知られ、安産祈願のお参りが多い。また、菅原道真(すがわらのみちざね)を祀る橘天満宮では天神祭が盛大に行われ、「松山の天神さん」として親しまれている。境内には、1281(弘安4)年の弘安の役で国難を救い、「河野の後築地(うしろついじ)」で有名な河野通有(こうのみちあり)の石像が建つ。
俳誌「ほとゝぎす」創刊の地記念碑
俳誌「ほとゝぎす」は、1897(明治30)年、柳原極堂が子規の指導・援助を受けて発行。誌名は子規にちなんで付けられた。創刊の記念碑は中の川通り沿いに立つが、発行所である極堂の自宅は数m南東の住宅街にあった。翌年、高浜虚子が運営を引き継ぎ、東京に拠点を移すまで、ここで20号が発行された。太平洋戦争末期に一時休刊したが、戦後再開し現在まで続く。
どんな地区ですか?
自然あふれる石手川緑地沿いの、東西に長い地区です。西側は繁華街で東側は住宅街となっています。地区の名称「八坂」の由来になった八坂神社や、歴史ある井手神社などの文化史跡があります。また、中心部を流れる中の川は、人工的に造った石手川の支流です。江戸時代には町屋が並び、美しい川には魚やホタルもいました。現在では、広々とした道の一部に残る枝垂れ柳や細い石橋が、当時の風情を残しています。
生活環境はどうですか?
松山市の中心的な商業地域である大街道や銀天街に近く、医療機関も多くあり、生活に便利なエリアです。西側は繁華街に隣接していますが、住宅街に入ると昔ながらの路地も残り、静かな環境で生活ができます。石手川緑地に沿って住宅地が広がり、自然も豊かです。
公共交通機関でのアクセスは?
松山市の交通の中心である伊予鉄道松山市駅まで、最寄りのバス停の新立から約10分、日中は10~30分間隔で運行しています。松山市駅まで車で約5分、JR松山駅まで約10分と、車での移動も便利な地区です。