INTERVIEW百色移住インタビュー

「人」に支えられた松山での暮らし。穏やかな人と環境が財産

渡邊麻子さん

思い立つまま、とにかく「飛び込んでみる」

高知出身の渡邊さん。中学1年まで、高知県佐川町で暮らし、中高は父の故郷、静岡県で過ごしたのち、大学進学を機に高知へ戻ったという。

「卒業後は親が安心するだろうな、と、信用金庫への就職を決め、2年間総合職として働いていました」。昼間は窓口業務を中心に、営業もこなすハードな日々。社宅と職場をただ往復する日々に少し疲れていた頃、学生時代の友人から「雑誌作り」の仕事について話を聞いた。
「とても魅力的で、直感的にコレだ!って思ったんです」と渡邊さん。すぐに辞表を書き、年度末で職場を辞めて1週間後にはカバン一つで東京の友人宅へ転がり込んだ。

とある出版社の常駐フリーとして編集の仕事に携わり、ファッション誌やティーン誌の担当として活躍。ティーン誌では、メイクやネイルなども担当。昔から、自分の手を動かして「ものづくり」をすることが好きだった渡邊さんにとって、充実の日々だった。
4年間、東京で働いたのち、高齢の母のことが気になりはじめ、「すぐに会える所に戻りたい」ということでUターンを望んだ。仕事は、やはり出版や編集に携わりたい。そう思い四国中で職を探したところ松山の出版社が見つかり、縁もゆかりもなかったが松山の地に飛び込んだ。

「地方だからできること」を仕事に

とにかく職場に近い所に部屋を借り、タウン情報誌の編集としてキャリアをスタート。入社した月から特集を担当し、何もわからないまま松山生活が始まった。

「同じ編集者という仕事でもファッション誌とタウン誌ではやり方が全く違い、ゼロからのスタートでした。友人も親戚も誰もいないし、町のこともわからない。でも、そんな不安どころじゃなく、仕事中心の目まぐるしい日々でした。しかも、仕事で町のことを知ることができましたし、職場でも優しい先輩たちに恵まれました。気がつくと10年、いずれは高知にと思っていましたが今はそれも考えていません。松山ならではののんびりした雰囲気が自分に合っていると思います」

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趣味として始めた消しゴムハンコ。今では、音楽情報フリーペーパーでアーティストの顔を彫る仕事にまでなっている。

松山の出版社で勤めたのち、やりたいことの幅が広がり独立を決意。「音楽を仕事にしたい」という想いが実を結び、今ではフリーランスとしてラジオのプレゼンター、音楽雑誌の編集、イベントブッキングやアーティストのプロモーション・サポートなど、様々な分野で活躍をしている。

「こんな時代だからこそ、地方だからできることが増えていると感じています。私にとっては人と人、人やモノなどを“つなぐ”ことが生きがい」。何をやってもどこにいても楽しむ自信がある、そう語る渡邊さんの思い切りの良さとたくましさが、とても眩しい。「なんとかなる」で始まった松山生活も自分の居場所を見つけ10年を超えた。

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シェアオフィスとして利用している松山市千舟町の「THE 3rd FLOOR」。デザイナー、コピーライター、ディレクターなどとデスクを共にし、この場でワークショップや音楽イベントなども行う。

松山暮らしの本音を教えて

Q移住者へのアドバイス

とりあえず飛び込んでみたら、どうにかなります(笑)。松山は全てが豊か。人にしろ食にしろ、自然も近くにあるので生活するにはとても良い土地です。

Qびっくりしたこと

家賃が安いです。また、コンパクトシティで自転車があれば市内どこへでも行くことができます。

Qお気に入りの場所

石手川沿いに住んでいるので、夜、川沿いで月見をするのがお気に入り。また、道後公園は四季の移ろいを感じるのにとても良い場所。イベントも定期的に行われているので、よく足を運びます。

渡邊麻子さん

高知県出身。2004年5月に転職で松山に移住。

移住時の年代
30代
家族構成
単身
移住スタイル
Iターン
移住時の年代
30代
家族構成
単身
移住スタイル
Iターン