INTERVIEW百色移住インタビュー

大学時代の活動と感謝の気持ちが、松山に戻ってからの転職活動に活かされた。

宮本勇康さん

転勤で愛媛から大阪へ。ふと将来を見据えた時に気持ちの変化が

松山市に生まれ、松山大学を卒業したのち、四国中央市の企業に就職。その後転勤で大阪へ。大阪での生活を振り返ると「ずっと愛媛で暮らしていたので刺激も多く、公私ともに充実していました」という宮本さん。同僚に恵まれていたこともあり、仕事は忙しくも充実。仕事終わりに甲子園球場へプロ野球を観に行ったり、休日には梅田や心斎橋へ遊びに行ったりと満喫していたそうだ。
4年ほど大阪での生活を過ごすうちに結婚についても考えるようになった。奥様とは大学時代から交際しており、社会人になって6年を迎えるにあたって、いろいろと想いを巡らせるように。自身が家族を作るということを考えたら、ごく自然に松山への帰郷という結論に至った。
「当時の会社には感謝の気持ちしかないので、ちゃんと退職したかった」という宮本さんは、前職場に退職の意思を伝えてから1年かけて仕事の引き継ぎをし、次の担当者の環境をしっかりと整えてから退職。その期間に同時進行で松山市での就職活動も行っていた。

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学生時代の人脈が転職活動にも活かされた

大学時代から中長期のインターンシップを通して、企業と学生をマッチングするというNPO法人の活動に従事しており、当時からジョブカフェ愛Work(https://www.ai-work.jp/)との関係性ができていたこともあり、積極的に相談をしながら松山での転職活動を行った。

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「松山での就職にあたっての条件は?」と問うと「腰を据えて生涯働くためにも、転勤のない会社であること。そして前職の営業職の経験は活かしたかったのですが、前の職場に迷惑をかけたくなかったので、前職で得た知識を使わなくて良いように全く交わらない業種の仕事を探しました」と宮本さん。そして新環境での苦労も厭わない姿勢で見つけたのが、現在の会社、菊池建設工業株式会社だ。就職活動中に接した代表が大阪でも面談を行ってくれたりと柔軟に対応してくれたこと、他社にはない特殊な工事技術を持っているという観点からも惚れ込み、その強みは営業時の武器になると確信したのだそう。

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現在は松山を拠点に、徳島県や香川県に営業に行くこともあるそうだが、どこへ行っても日帰りで自宅に帰れるからストレスには感じたことはないとのこと。未経験だった建設土木に関する知識は入社してから学び、現在は公共事業を多く手がける自社の営業マンとして、クライアントの訪問、書類作成など多くの役割をこなしている。

体が感じる、松山の馴染みやすさ

「松山に帰ってきて感じるのは、言葉では表しにくいのですが、なぜかしっくりと自分に馴染む感じがある」と宮本さん。「ここは!という突出したところはなくても、全体がちょうどいい」ということに、帰ってきてから気づいたそうだ。
大学時代には、長期インターンシップ斡旋を通じてひとつの事業を任せてもらったり、もっと地元の人に「地元の優れた企業を知ってもらいたい!」という思いから企業紹介の冊子を作って配布したりと、「地元の企業と関わり、育ててもらったような感謝の気持ちがある」からこそ、地元である松山に貢献したいという強い想いがある。
松山にUターンしてからも、仕事終わりに集まり、イベントを開催したり、若手社会人同士の悩みを共有しそれを解決できるようなコミュニティに参加していた。

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物心ついた時から野球少年ということもあり、社会人草野球チームにも所属。さらに2021年6月には子どもも生まれ、ますます公私共に充実した日々を過ごしている。コロナ禍が落ち着き、子どもが少し大きくなったら夫婦共通の趣味である夏フェスや音楽ライブに行きたい!とのこと。「ライブも都会で観る時よりもアーティストとの距離も近く感じるし、地元まで来てくれてありがとうという気持ちも大きくなるんです」。
持ち前の行動力と好奇心の旺盛さを武器に、日々のワクワクすること、心動かされるモノたちに目を輝かせながらUターンライフを楽しんでいる。

松山暮らしの本音を教えて!

Q 松山に戻ってきて驚いたことは?

もともと飛び込んでしまえばその場を楽しめる自信はあるので、どこの場所に住んでも、特に驚いたことはありませんでした。でも松山に約6年ぶりに帰って来て、こんなにすんなりと馴染めるとは自分自身思っていませんでした。心の安定感が、思ったよりもありました。

Q お気に入りの場所は?

自宅の近くのラーメン屋「真中」です(笑)。大学時代に足繁く通ったお店の姉妹店とは知らずに足を運んだら「あれ?この味?」ってすぐに気付いたんです。それくらい体に染み付いていたんだと実感した懐かしの味です。ほかにも松山は美味しいものも多いですよね。

Q 移住者へのアドバイスは?

自分は6年しか地元を離れていませんでしたが、長い時間離れていた人こそ地元の良さが実感できるんだと思います。過去の人脈や実績が“いま”を支えてくれることも。
また、全体がちょうどいい松山は、都市部から移住された方にとっては想像以上に心地よい場所になると思います。

宮本勇康(みやもと ゆうこお)さん

松山市生まれ。松山大学卒業後、四国中央市の企業に就職したのち、大阪への転勤を経て、2017年にUターン。現在は建築会社の営業担当として、四国内を飛び回る日々。

移住時の年代
20代
家族構成
夫婦と子供
移住スタイル
Uターン
移住時の年代
20代
家族構成
夫婦と子供
移住スタイル
Uターン