移住者インタビュー
INTERVIEW百色移住インタビュー
自分らしさを大切にすれば、良い仕事はどこでもできる
いろんな縁が密接に関わって松山に来ることに
現在松山のマンションの一室に工房を構え、彫金師として自身のその腕とセンスを武器に活躍をしている宮本さん。もちろん取引先は日本を代表するハイジュエリーブランドなど全国各地にある。時には海外のクライアントとのやりとりもしながら、作品やオーダーメイドジュエリーを手がけている。
宮本さんは神奈川県生まれ。山形の芸術大学を経て、オーダーメイドジュエリーの会社に就職。仕事を通じて和彫りや石留めの技術を磨いたのだそう。
そんな中、23歳の時には難病に指定されているUC(潰瘍性大腸炎)を発症し、電車通勤などが負担になり会社勤めが困難な状態に。会社を辞め、しばらくは治療に専念したのち、松山の会社に就職したパートナーと一緒に2016年、松山に移り住み独立という形で工房を構えることになった。
「当時は四国には来たこともなかったし、愛媛県という場所が四国のどの位置にあるのかすらハッキリと言えないくらいでした」と笑う宮本さん。知らないなら知らないなりに楽しもうと腹をくくり、休日を見つけては道後やお城など観光地から足を運んだそう。
そして松山に来てもう一つ変わったことは、病気のことをちゃんと公表したこと。長年付き合ってきただけに、今まで理解しているつもりだったけれど実はそうではなかった。「ブログなどにちゃんと経過などを公表していくことで、同じ病と闘う人の何か役に立てればと思ったし、それでやっと病気を自分の一部と認め向き合うことができたんだと思います」と宮本さん。以来少しずつ体調も回復してきたのだそう。現在も仕事の傍ら、寛解(完治とはいかないが症状が治まって穏やかになること)に向けて治療を続けている。
都会のように長時間電車通勤をする必要もなく、ストレスも軽減。現在では路線バスに乗って街中に出ることが楽しくなってきたそうだ。最近では秋には出合のいもたきに、忘年会にと移住者同士の集まりに参加し、情報交換にも余念がない。
安くて美味しいもの探しが趣味に
一方で「趣味と呼べるものなどもなく…(笑)、その分食への執着がすごいんです。松山で美味しいものを食べること探すことが生きがい」と笑う。通院の道すがら見つけた老舗の食堂に突撃してコストパフォーマンス抜群の定食を見つけたり、自宅でも毎晩料理をするなど楽しみながら体調管理もキチンとこなす。
愛媛らしいジュエリーづくりが目標
現在も2ヶ月に1度程度は上京し、彫金スクールで生徒に教えている宮本さん。
「愛媛でも彫金スクールやいろいろなワークショップをスタートさせたいんです。愛媛は真珠が名産でもあるので、それを生かした形でできれば」と考えているそう。それを実現した作品が、オリジナルブランドにも取り入れられている。
「最近は誰かの為になりたいとより強く思うようになってきました。作る最中も相手のことを常に想いながら、身につける人にとってお守りになるような心の支えになるようなものが作りたいんです」と宮本さん。その想いと確かな技術、いいものを見分ける力があれば、ブレない仕事はどこででもできる。
ここ松山から、宮本さんの想いがカタチになって日本全国に、そして世界の各国へと飛び立っていくのだろう。
松山暮らしの本音を教えて
Q 移住者へのアドバイスは
右も左もわからなかった私たちに、松山の人たちは本当に優しくしてくれました。気候同様、人柄もとてもあたたかいなと実感しています。
Q 松山に来て驚いたことは?
四国の勝手なイメージですごい田舎かと思っていましたが、想像したより都会でした(笑)。
Q お気に入りの場所は?
近場を散歩するのが好きなので、道後周辺とか松山城など。ベタな観光地ですが、そこに暮らしてきた人の暮らしも感じられて雰囲気が好きです。
宮本輝美さん
神奈川県生まれ、神奈川県育ち。独立と同時に松山に移住し、オリジナルブランドを手がける傍ら、大手ジュエリーメーカーの作品などにも携わる。
- 移住時の年代
- 20代
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