移住者インタビュー
INTERVIEW百色移住インタビュー
都会での暮らし・自然の中での暮らしを経験したからこそ見える、松山のよさ
松山のちょうどよさを再認識
生まれも育ちも松山市、実家はみかん農家という古茂田さん。大学在学時の馬術部での経験をきっかけに就職したのが、競走馬の血統登録を手がける東京の会社だった。上京後の生活は、想像以上のスピード感と人の多さに圧倒され続けたそう。「もちろん、何もかもすぐに手に入る東京の生活は便利だったのですが、通勤の満員電車は大変でした」と古茂田さん。東京での生活が一年半を過ぎた頃、会社から転勤が言い渡された。その転勤先が北海道新ひだか町。東京と比べれば、180度異なるといっていいほどの環境の変化だった。「雄大な自然の中、のびのびとした暮らしは楽しかったです。ただ、スーパーが町内に3つという環境で、少し生活のしづらさも感じていました。そして、新ひだか町は札幌に比較的近い(?)らしいのですが、それでも車で3時間といった感じで、北海道のスケールの大きさを日々感じていましたね」。
もともと、東京の会社に就職する際も、松山に戻ることが前提だった古茂田さん。「大学では農学部でしたし、ゆくゆくは実家のみかん農家を継ぐつもりでした。ただ、もう少し県外で働いてから戻るつもりだったのですが、北海道に転勤になって馬の様子を見に牧場に伺ったりする中で、牧場ってどちらかというと環境的には農場に近い感じなんですけど、『やっぱり、農業がしたい!』って実感したんです」。
知識と経験はベツモノ、実際に学ぶことの大切さ
北海道から帰郷した古茂田さんは、1年間「JAえひめ中央 新規就農研修センター」で研修生として、みかん栽培について学ぶことに。「大学時代は農学部でしたので、知識はありました。ただ、実際に1年を通して農業を経験することは、全く違いましたね。夏の摘果の大変さや、農薬散布のタイミングなど大学で学んでいるだけでは学べないことばかりでした」大変なことも多かったが、やりたかったことなので楽しく頑張れたそうだ。
1年の研修を終え、実家の農園を手伝い始めた時に感じたのが「責任」という言葉だった。「『みかん農家として生計を立てる大切さ』ということを身にしみて感じています」と古茂田さん。2020年の冬は、収穫の直前に寒さが原因で一山分の伊予柑がダメになってしまう経験をした。「自然には勝てないので、できる対策はしますが、無理な時はもう諦めるしかない・・・。そんな柔軟さと、いってみれば『強さ』を手に入れた気がします」。
1年1年、反省をしながら「美味しいみかんに成長してほしい」という気持ちを込めてみかんを作っている
夢中になる仕事に就けた喜び
北海道から帰ってからは、父と子の関係から、みかん農家の先輩と後輩としての関係も加わったという古茂田さん親子。「息子がみかん農家を継いでくれたことが嬉しい」と照れた様子のお父様。
今後の目標は、いい柑橘を栽培して、ちゃんと生活していくこと。「農家は自然相手の勝負です。なので、思い通りにならないことも多々あります。ひと昔前は、みかんがすごく安くなってしまい、大変な割にきちんとした収入を得られず、生活が苦しくてみかんの栽培をやめていく農家さんもいたそうです。しかし、今は、高く売買される柑橘の種類も豊富で、『稼げる』農家も夢ではありません。これからは、きちんと生活できる、稼げる、夢のある職業としてみかん農家も選択肢に入ってきてもおかしくないと思います。やはり、農家の高齢化は大変な課題ですが、私のように若い層も少しずつ増えてきています。若さで地元の農家を盛り上げていきたいですね!」と好きなことを仕事にしている喜びに満ちた表情で話してくれた。
松山暮らしの本音を教えて
Q 移住者へのアドバイスは?
「移住後に農家をしたい!」という方は、作りたい品目を移住までに決めておいた方がいいかもしれません。地域の特産品であれば、松山市や農協のバックアップも手厚いので、農家デビューもスムーズかもしれないですね。
Q 改めて感じた松山の魅力は?
まちがコンパクトで普段の買い物は比較的近くですみます。一方、中心街はたくさんお店があるので外食や買い物も楽しめるのが魅力です。
Q お気に入りの場所は?
みかん畑のある山の頂上から見る景色です。お城山が見えて美しい景色を楽しむことができます。
古茂田 敬さん
松山市出身。東京の企業への就職を機に県外へ。東京・北海道といった勤務地を経て2019年に松山市へUターン。
- 移住時の年代
- 20代
- 家族構成
- 単身
- 移住スタイル
- Uターン
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- Uターン