INTERVIEW百色移住インタビュー

どこかネパールにも似たところがある、海・山・川の近い自然な暮らし

ブサル・ゴピさん、英梨さんご夫妻

仮住まいしたから分かった松山の良さ

松山市内を中心に、今治、横浜と6店舗の「ナマステ食堂」を展開しているブサルさん。二人の出会いは、遠くはネパールだった。
ネパールの首都カトマンズにNPO団体の仕事で行っていた英梨さん。やがてゴピさんと出会い、1年間の遠距離恋愛を経て結婚。英梨さんの地元でもある横浜に帰り、お店をオープンさせた。

2011年に東日本大震災が起こり、関東も騒動の渦中となる。余震など安心して暮らせない日々が続いたこともあり、大学卒業旅行先のチェンマイで出会った知人から北条の空き家を貸してもらい、そこに息子の旭人くんと英梨さんだけが避難。そして2ヶ月ほど過ごすうちに、この地に住みたいなと思うようになったのだ。
「会う人会う人が本当によくしてくれて。人の良さもそうだったし、都会過ぎず田舎過ぎず。子供を育てるならここがいいなって」。
一旦横浜に帰りゴピさんにその話をすると、もともと田舎で生まれ育った彼は大賛成。「電車に乗ってビルを見るたびにため息をついていました(笑)。都会の横浜よりも、海も川も山もすぐ近くにある松山が絶対良かった」とゴピさん。すぐに移住してくることになった。

お店のスタッフと。常に笑いが絶えない楽しそうな厨房だ

ネパールのお祭り「ダサイン」の日に、一緒に住んでいるみんなやスタッフで集まったところ

実際に移住してきてからも困ったことは全くないという。街の規模感も不便はないし、食材もだいたいのものは手に入る。今は道後にほど近い御幸山の麓に昔の農家の180坪近い家を安く借り、自身の店で働くネパール人のスタッフ達と、11人で暮らしている。ネパールでは核家族で住むことはほとんどないそうで、「自分の家族だけだと寂しい」とそのスタイルに従っている。

肩肘張らずに自然体でいられる暮らし

IMG_8704庭が畑のようになっており、そこでパクチーを育てたりもしているそう。「ゆくゆくはお店で使う野菜のほとんどを作れるようになりたい」と英梨さん。
昔から食には気を使うほうだったというが、都会では気負わないとオーガニックな食材は手に入らないし、そんな生活はできなかった。けれど「松山に住んでいれば自分で野菜を作ることができるし、友達からもらうものですらオーガニック。それがとても自然にできるのが嬉しい」と、畑仕事も楽しんでいる。
IMG_7717+英梨さん曰く「ネパール人と松山の人の気質は似ているかもしれない」とのこと。最近ではどこに行っても「松山に帰りたい」というのが、ゴピさんの口癖になりつつあるそうだ。最近は移住してきた友達も増え、ますます松山ライフが面白くなってきたところ。

松山暮らしの本音を教えて

Q 移住者へのアドバイス

松山で暮らしていると、カリカリ、イライラするのが馬鹿らしくなることがあります。子育て中のお母さんも、自分自身に余裕が生まれると思います。

Q びっくりしたこと

横浜にはないユルさ。悪く言えばルーズかもしれないけど(笑)、その余裕が心地よいです。

Q お気に入りの場所

温泉にはよく行きます。いろんなところにあって日常の中に入り込んでいるのがいいですよね。

ブサル・ゴピさん、英梨さんご夫妻

ネパール出身のご主人と、横浜出身のご夫婦。知人を通じて愛媛県を知り、子供が生まれたのをきっかけに2012年に移住。

移住時の年代
20代
家族構成
夫婦と子供
移住スタイル
Iターン
移住時の年代
20代
家族構成
夫婦と子供
移住スタイル
Iターン