INTERVIEW百色移住インタビュー

子供達が大きな夢を描くための手助けが、この松山の地でできたら。

大野さんご一家

震災がきっかけで一からの出直し

7歳でバレエを始め、松山で高校卒業までを過ごした後は海外に飛び出した大野拓都さん。アメリカの名だたるバレエスクールやバレエ団を経て、21歳で日本のNBAバレエ団に入団されたのち、再度海外でのソリスト契約、指導者を経験。東京にてスタジオを構えていたそう。奥様の菜穂さんも4歳でバレエを始めてからは、新国立劇場のバレエ研究所や新国立劇場バレエ団に入団するなど、夫婦揃って常にトップレベルで活躍をしていた。

移住を考えたのはやはり、東日本大震災の日。発表会を控えたレッスンのちょうど真っ最中で、9階にあったレッスン場は想像を超える揺れに襲われ、一部は壁が壊れるほどになっていたそう。もちろんその後の混乱の渦中でレッスン再開の目途も立たず、当時の菜穂さんのお腹には長男の礼富(らいと)君がいたこともあり生活に不安を覚えた。

「レッスン場も使えなくなってしまったし、スクールを立て直すにはやはりイチからのやり直しが必要でした。だったら東京でなくてもいいのでは?と夫婦で話し合い、海外に行くという案と松山に帰るという案が出たんです」。

思い立ったら即行動がモットーの拓都さん。3月中には松山で1週間ほど過ごしているうちに、子供のことを考えたら松山が良いのではないかと思うようになった。そして4月には礼富君が生まれ、5月には松山へ。6月には「バレエスタジオ ミーム」をオープンさせていたという行動力が素晴らしい。今年で6年、もうすぐ3歳になる永富(はると)君も加わった4人の家族生活を満喫しながら、小さな子供から大人まで数多くの生徒さんに指導を行っている。

お二人が活躍していた当時のステージ写真もスタジオに飾られている

スタジオの窓から松山城が見えるロケーションもお気に入りポイント

車の免許の取得からスタート!

引っ越してきた時は夫婦揃って車の免許を持っていなかったという。長らくの海外生活に加え、東京では電車で大概のところに行けたため必要性を感じていなかった。けれどやはり、松山での生活には自家用車が必要不可欠と感じた。早速拓都さんが免許を取得し、つい最近菜穂さんも取得したそう。「郊外電車もあるので、ある程度のところまでは行けるけれど、車があると行動範囲が広がって楽しいんです」と拓都さん。行き先は子供たちが喜ぶ場所を中心に選んでいるが、動物園や釣り堀など休日はアクティブに活動している。

想像していたよりも、のびのびと子育てができていることを実感する毎日。菜穂さんの地元である東京に行くと「電車に子供を連れて乗ると迷惑そうな顔をされて悲しい思いをしたりもします。そんな時に松山っていい街だなって実感するんですよね」というのは菜穂さん。松山では乗り物でもそんな経験をしたこともなく、公園に行っても知らない人が声をかけてくれたり、犬に触らせてくれたりと人の温かさに触れている。

松山で自分たちができること

また松山に来てよかったと思う点のひとつは、人口の割に習い事文化が発展していること。バレエに特化して見てみても愛媛県は教室が多い地域なのだそうで、小さい頃からバレエに触れてもらう機会が多いのは嬉しいポイントだ。その一方で「本場のステージを体感できるような公演が少ないのは残念なことですね」と夫婦が口を揃えて言う。今後増えたらと期待を寄せている。

だからこそ自分たちにできる事を見つけられたのも事実。「世界に飛び出して見てきたものや経験してきたことを子供たちに少しでも伝えられたら」と後進の指導に当たっている。

松山暮らしの本音を教えて

Q 移住者へのアドバイスは?

最初は都会のほうが便利だと思うこともあったけれど、とにかく子育てを考えたら松山で良かったと思います。不便さを感じたことはないです。

Q 移住してきて驚いたこと

ダンサーとしてスタイルの維持には気を使うため、炭水化物をほとんど取らないのですが、松山に来てうどんが大好きになりました。食の面では新たな発見がたくさんありました。

Q お気に入りの場所は?

子供たちが好きな道後の足湯。とべ動物園やこどもの城によく行きます。

大野さんご一家

家族構成は夫・拓都さん(松山市出身)、妻・菜穂さん(東京都出身)、長男・永富君、次男・礼富君。永富君が生まれた直後に東京都から移住。

移住時の年代
20代
家族構成
夫婦と子供
移住スタイル
Uターン
移住時の年代
20代
家族構成
夫婦と子供
移住スタイル
Uターン